講義メモに近い何か

「音楽クラスタ」に憧れて

こんにちわ。お久しぶりです。 「年内最後」という便利ワードで、すべての行為がめでたく思える季節になりました。巷では「音楽クラスタ」という、「音楽」という言葉を占有する不届き者達が、「ベストディスク」を発表するオサレ感あふれる営みを繰り広げて…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章28〜32段落

(28)しかし、純粋理性がどうして実践的であるのかを、理性によって説明するのは自らの限界を踏み越えることになる。(29)自由というのは一個の理念であり、その客観的実在性を経験的に認識することはできない。 決定論者は、人間のあらゆる行為は全て神な…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章20〜27段落

(20)人間は誰もが自らの意志が自由に基づくと思っているから、「〇〇を為さなかったが、〇〇すべきだった」という判断が生じる。仮に我々が自由な存在者ではない、例えば石っころのような物であったとするならば、「〇〇すべき」というような判断は生じ得…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章13〜19段落

(13)しかし、我々人間は理性を有しているという自覚を持っている。その理性は悟性より優っている。 悟性は感性によって得られる表象を、一定の規則(カテゴリ)の中で悟性概念を作り出し、一つの意識に統覚する能力があるだけで、悟性は感性の使用をまたな…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章3〜12段落

(3)意志の自由が前提されると、自由の概念を分析するだけで、そこから道徳性原理が発見できる。 しかし、この分析的手法を用いて発見された道徳性原理 ー「絶対に善なる意志は、その意志の格律が普遍的法則と見なされるところの自分自身を常にみずからのう…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章89〜第三章2段落

(89) 人間が何らかの意志を持つ時に、その意志の根拠を客体(目的)に設定しているとき、その意志は他律的なものとなる。「もし我々がこの客体を欲するならば、或いはー我々はこの客体を欲するが故に、しかじかの行為を為すべきである」という命法になるとい…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章81〜88段落

−道徳性の最高原理としての意志の自律−(81)意志の自律という原則は、意志自身に内包されている性質と言える。だから、意志の自律の原理は「意欲が何かを選択する場合には、その選択の格律が当の意欲そのもののなかに、同時に普遍的法則として含まれている…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章79(127頁4行目)〜80段落

(79)道徳性は自律的な普遍的立法を行う意志と行為との関係の中に存在するという。自律的意志によって導かれる行為は道徳的に許容されるし、そうでない行為は道徳的に否定される。 また、意志の格律が何の操作も無しに必然的に自律の法則と合致するとしたら…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章78〜79段落(127頁4行目まで)

(78)理性的存在者とその他の存在者を区別する要因は、自分自身に目的を設定するという特性にあるという。このような目的が善意思の本質であるとも言う。 この場合の目的というのは、個別の存在者が想定する一般的な用法での”目的”(「学校を卒業するために…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章76〜77段落

(76)これまでの(74)(75)段落で確認した方式の通りに確認をすると、全ての格律は普遍的法則を自らに与えるという意味の「立法」をすることによって、この現実の社会関係においても「目的の国」と調和すべきであると捉える。「目的の国」というのは実践…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章72〜75段落

(72)このように「道徳的」と言える条件を厳しく設定できるのはなんのためであるか。 理性的存在者は身体性に由来する自然法則の制約、すなわち身体的欲求や傾向性からは自由であり、理性的存在者自身が自らに課す普遍的法則に服従することになる。あらゆる…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章68〜71段落

(68)この段落ではこれまでの議論を繰り返し確認している。 客観的原理に従う、すなわち「義務」に基づいて行為するということは、何らかの感情に由来するものではなく、理性的存在者相互が関連しあうそのことに基づくものである。というのも、理性的存在者…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章62〜67段落

(62)ここまで確認したような理性的存在者であるならば、それぞれの理性的存在者は自らを<自らの意志の格律によって普遍的な道徳原理を構築する立法者>として見做さざるを得ない。このような立法者という観点から、自らの行為を判定するべきである。 この…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章60〜61段落

(60)定言的命法なるものが存在するとすれば、前述の「各人の意志こそ、すべてその格律がを通じて普遍的に立法する意志」という原理が必ず存する。 この原理は「普遍的立法」という理念をその中にもち、あらゆる利害関係、自身の傾向性を排しており無条件的…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章55〜59段落

(55)以上のような原理は非経験的なものに由来するという。その理由は、原理の普遍性を担保するためであるというのが一つ。個別具体的な格律ではそれは普遍性は持たない。カントが構築しようと目指しているのは、理性的存在者一般に通ずる普遍的原理である。…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章49〜54段落

(49)この段落では、かの有名な命法「君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性を、いつまでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し決して単なる手段として使用してはならない」を掲示している。 この命題が成立する…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章45〜48段落

(45)ここまでの議論をまとめると、全ての理性的存在者が自己の格律を普遍的法則となるように欲し得るものとして行為を選択することは、必然的法則であるか否かということが問われている。主観的な行為格律が法則と結びつくという法則は成立しているかとい…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章42〜44段落

(42)このような定言命法の導出を、「人間本性」から行ってはならないとカントは言う。 そして、この原理は「すべての理性的存在者」に妥当すべきであり、だからこそこの原理が表す「義務」は全ての人間に対しても法則として措定されなければならない。 つ…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章36〜41段落

(36)続いて<他人に対する完全義務>の例示をしている。"「私はいま本当に金に困っている、それだから金を借りようと思う、またいつになっても返す当てのないことを承知していながら、(偽って)返済を約束するつもりだ。」”という行為格律を挙げ、この行為…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章29〜35段落

(29) 「定言的命法」という概念が、その命法の方式も内包しているのではないかという問題について検討している。この後の第二章では、その「方式」について検討することになる。第三章においては、メタ倫理的な側面、すなわち「定言的命法はどうして可能と…