カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章79(127頁4行目)〜80段落

(79)道徳性は自律的な普遍的立法を行う意志と行為との関係の中に存在するという。自律的意志によって導かれる行為は道徳的に許容されるし、そうでない行為は道徳的に否定される。
 また、意志の格律が何の操作も無しに必然的に自律の法則と合致するとしたら、その意志は神聖で完全な善なる意志と言える。しかし、必ずしも完全に善であると言えない意志が自律原理に則して道徳的強制を持ったとき、そこに「責任」という概念が生ずる。この「責任」に基づく行為は客観的な必然性を持っており、それが「義務」と呼ばれる。であるから完全に善なる意志を持てるような神聖な存在者には「責任」や「義務」といった概念は適用されない。

(80)つまりカントによれば「義務」というのは、已むを得ず道徳法則に従うことに他ならない。しかしそれでもなお、その義務を履行する人格に尊厳を与えるのは何故かと説明する。
 カントとしても、ある存在者が単に法則に服従しているというだけであるならば、そこには何の崇高さも無いとしているが、しかし理性的存在者は道徳法則の立法者という側面を持ち、そこで更にその法則に従うという点で尊敬に値するとしている。
 ある行為が道徳的であるかという判定の基準となるのは、強制に伴う恐怖心や自らの心地良さを望む傾向性などではなく、端的に法則に対して敬意を払っているかという点に絞られる。
 我々の意志が、普遍的立法の原理に則った行為格律の規定を行うのであれば、その意志は尊敬の対象であるし、人間性の尊厳も、この普遍的立法を行うという能力そのものによって成立するという。当然、この場合我々は自らの意志で課した普遍的立法に対し、自ら服従するという制約に従っている。


〜要約ここまで〜

日々減退