エロース

思えば、ブクログ(ブログじゃないよ、ブクログだよ)を始めたきっかけというのは「読書する習慣を身に付けたい」ということでした。いや、意味分からんよ。そういう習慣がある人が使うもんだし、そういう習慣は「読みたい」という気持ちがあるなら自然に身につくもんだとも思う。ただ、自分はそうではなかった。読書自体は好きじゃない。ただ、「ここに書いてあることを知って頭に入れれたら楽しいだろうな」という欲はある。ここのギャップを埋めるためのブクログ(などなんでもいいけど、読書SNS)なわけです。ブクログは自尊心を刺激する。一度使い始めたら周りの目がある。誰も見てないにせよ、「見られている可能性」を排除できない以上、それを意識してしまう私のような人間にはピッタリなわけです。(使う利用としてはもう一個、「コミュニケーションのきっかけ」ということもあるわけですが、それはまた別のお話)

月10冊は最低読むことを考えてました。するとどうでしょう、2月、3月などは結構な数を読むようになって高校生の頃の自分を考えればとんでもない進歩だったわけです。しかし、弊害もでてきた。この「月10冊」という数が単なるノルマとして考えられるようになってしまった。「月10冊」読めばいいんだろ、ということで月末に軽い小説(ライトノベルということではなく)で数を合わせるなどということをしたこともありました。

しかし、「これはおかしい」と気付くわけです。だって、そんな数合わせに何の意味。もちろん乱読することは必要なことかもしれません。ただしそれは程度問題です。その「月10冊」ノルマを意識しだしてしまってからは、あまり面白くなくなってきたのです。

大学も後期が始まり、ドイツ語の演習などに出るようになり、家で翻訳作業をする時間を多くとるような生活になりました。するとその分、本を読む時間が削られる。当然といえば当然です。
PDFで公開されている論文を読めば、その分「本」を読む時間は減ります。当然といえば当然です。

では、この「外国語の勉強をする」とか「PDFの論文を読む」という行為は、必ずしも「本を読む」という行為より高い位に置かれるものなのか。そうではないでしょう。ただ、それに気付いたのが最近だということです。

言い訳ではありませんが、以下に掲載する10月分は非常に少ない。しかし、何もしてなかったわけじゃないし、10月に読んだ本で一生ものになる本もできた。なかなか充実したわけです。

まあそれでいいよなあ、とぼんやり思い始めました、という意味不明な決意表明。


takumazumiの本棚
2011年10月
アイテム数:5
暇と退屈の倫理学
國分 功一郎
読了日:10月20日
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無痛文明論
森岡 正博
読了日:10月27日
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今月の一冊は都合により掲載しません。宗教上の理由、みたいなものです。ただ、「無痛文明論」と「暇と退屈の倫理学」、この二冊は心から薦められる本です。それだけです。