最近気になるエトセトラ

いやー色々詰まってしまったので、久しぶりに普通に記事を書くことにした。

今日、図書館で凄く気になる雑誌を発見しまして。
「計量国語学」っていうんですけど。学会誌なんですねー。時間無くてあんまり見てないんですけど。

まあでも確かにコーパスってそういうやつですよね。(ふわふわした言論)
なんていうか「計量」っていう言葉と「国語学」っていう言葉から受ける印象のギャップにビビったんですけど、そんな特殊でもないか。。。

思想地図βのvol.1で東浩紀

ある特定の作家や思想家の生涯のコーパスが完全にインデックス化され、どの単語がどの時代にどれほどの頻度で記されているかをグラフ化できるのであれば、作風や思想の変化など一瞬でわかってしまう。ほとんどの研究者の存在意義が、それでなくなります。*1

って言ってて、僕はここにラインを引いてるわけですが正直あまりわかってなかった。

でもこの計量国語学会も1956年に設立されてるらしいし*2僕が全然知らないだけで、こういった計量的な分析は様々な分野で用いられてるんだなーってのを知った瞬間でした。


はいどうでもいいーとか言わないー。


さて良いニュース。

浅田真央選手のエッセー、本人意向で発売中止に : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


何が良いのかというと、浅田真央の決断がです。
嫌な勘ぐりをすればです。これも含めてプロモーションなんじゃねえかとか、土壇場でポプラ社の条件が悪くて他の出版社に吹っかけてるんじゃねえかとか、そう思うこともできるわけですが、そんな下衆なことしますかねと。それにこれ、「延期」じゃなくて「中止」ってなってるのがポイントかなーとか思いますが、色々考えてもしょうがない。とにかく「本心」なんてものは判定できない以上、基本的には行為を形式的に見て判断する他ない。

であればこれは最高です。
浅田真央の母の訃報がメディアを騒がせて以来、僕個人の心配事は「母の死がどう扱われてしまうのか」という一点でした。
と言うと凄く嫌な人間に思われそうですが、やっぱり他人の感情を享受することなんて絶対にできないのだから、安易に「私も悲しい;;」なんて言ってやる場合じゃないわけです。それに、そういう「私はわかってあげられる」っていう感覚?そういうのが母の死後の浅田真央報道の根底にあったんじゃないかと。伝えるメディア側にも、見る人間側にも。

全日本選手権も優勝したけど、結局報道は「母の死を乗り越えて」って言葉付き。乗り越えてねーかもしんねえじゃん。


まあとにかく。こういう決断をしたことは一つのメッセージなわけです浅田真央からの。
じゃあこれをどう受け止めるかってのを今度は試されるわけです。わお。

*1:「思想地図β」163p

*2:コーパス言語学 - Wikipedia