2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章20〜27段落

(20)人間は誰もが自らの意志が自由に基づくと思っているから、「〇〇を為さなかったが、〇〇すべきだった」という判断が生じる。仮に我々が自由な存在者ではない、例えば石っころのような物であったとするならば、「〇〇すべき」というような判断は生じ得…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章13〜19段落

(13)しかし、我々人間は理性を有しているという自覚を持っている。その理性は悟性より優っている。 悟性は感性によって得られる表象を、一定の規則(カテゴリ)の中で悟性概念を作り出し、一つの意識に統覚する能力があるだけで、悟性は感性の使用をまたな…

ロジカル・シンキング

私はなにぶん意識が高い。平均的大学生の値を軽く超える程意識が高い。平均以下の学ぶ意欲の無い者は私のことを「つまらぬ男」と切り捨てるが、そいつらの言うところの「面白さ」等、ちり紙交換にすら出せやしない。 私は意識が高いので、常に最良の行動をと…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第三章3〜12段落

(3)意志の自由が前提されると、自由の概念を分析するだけで、そこから道徳性原理が発見できる。 しかし、この分析的手法を用いて発見された道徳性原理 ー「絶対に善なる意志は、その意志の格律が普遍的法則と見なされるところの自分自身を常にみずからのう…

不振の五月

言い訳すると、「読書」以外のことはちゃんとしてたつもりなんだけど、いかんせん4月までと比較するともの凄い読書量が減ってしまって大変である。そして今も色々あってイマイチな感じである。とりあえずやる。takumazumiの本棚2011年05月アイテム数:9 新…

カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章89〜第三章2段落

(89) 人間が何らかの意志を持つ時に、その意志の根拠を客体(目的)に設定しているとき、その意志は他律的なものとなる。「もし我々がこの客体を欲するならば、或いはー我々はこの客体を欲するが故に、しかじかの行為を為すべきである」という命法になるとい…