カント「道徳形而上学原論」(岩波文庫)第二章29〜35段落

(29) 「定言的命法」という概念が、その命法の方式も内包しているのではないかという問題について検討している。この後の第二章では、その「方式」について検討することになる。第三章においては、メタ倫理的な側面、すなわち「定言的命法はどうして可能となるか」という問題について吟味することになるが、これには詳細な研究を要するため一旦括弧に入れて、「方式」の内容吟味をこの後から行っている。
 
(30) まず、「格律」と「法則」の差異について。ここでは、注釈において”格律は、行為を規定する主観的原理”とされ、客観的原理との区別が要求されている。対して「法則」は”すべての理性的存在者に例外なく妥当する客観的原理”とされている。「命法」という語もこの「法則」と同義的に用いられる。この場合、「仮言的命法」をここでいう「命法」に組み込んでもいいものか、”主観的原理”とされる「格律」ではないのか。
 「仮言的命法」は「格律」ではない。「仮言的命法」は確かに嗜好性に左右されるが、一度目的が定まった後の「仮言的命法」は理性的存在者一般に通ずる「法則」と成る。
「ある線分を二等分したいときに、同じ半径の弧を描き円弧の交点を直線で結ぶ」という行為規則は、「ある線分を二等分したいとき」という目的に対する手段としての「同じ半径の弧を描き円弧の交点を直線で結ぶ」であり、これは(この手段を知りさえすれば)理性的存在者に例外なく妥当する。
(この「同じ半径の弧を描き円弧の交点を直線で結ぶと線分を二等分できる」という数学的法則そのものはアプリオリな総合命題)
 しかし、「試合の前の日には必ずカツ丼を食べる」「入浴時は必ず右手から洗う」というような規則は、ただの主観的原理すなわち「格律」でしかなく「法則」とは成り得ない。
 
 ここでカントは、「定言的命法」というのは行為の「格律」がこの「法則」に一致するという必然性を持っているとしている。

(31) その上で考えられる定言的命法が「君は君の格律が普遍的法則となることを、当の格律によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ」としている。

(32) この(31)の基礎的な命法から義務概念について考察する。すると、この「義務」という概念から我々が何を思い浮かべるか、何をしようとしているのかという見解を先の命法から導けるとしている。(「義務概念は空疎なものではないか」という疑問については、ここでは留保している。それは(29)で述べたように、「定言的命法はどうして可能となるか」という問題を解決してからでなければならず、その問題については第三章で議論することになっているからである。)

(33) 所謂「自然法則」というのは、普遍的である。この自然法則の普遍性を義務の普遍的命法に当てはめて言い換えればこのようになるとカントは言う。「君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為せよ」
 この言い換えは、(31)における定言的命法をより分かりやすく、通俗化していると言える。

(34) ここで義務の分類を行う。”我々自身に対する義務と他人に対する義務”、”完全な義務と不完全な義務”である。完全義務とは一般に「そうしなければ非難される行為」を指し、不完全義務とは「そうすれば賞賛されるがしなくても非難されない行為」を指している。ただ、カントはここでの完全義務は「内的な完全義務」も含むとし、すなわちリベラリズムで言うところの「愚行権」の類を認めないことを示している。

(35) ここから(34)で行った義務の分類の具体的事例を挙げていくことになる。そしてそれら事例が定言的命法たりうるかを吟味していくのだ。
 最初は自殺に関するもので、「生命をこれからさきしばらく延してみたところで、それは私に安楽を約束するどころか、もっとひどい不幸が私の生を脅かすとすれば、私は自愛の念から自分の生命を絶つことを私の行為の格律とする」という格律についてだ。
 カントは”感情の本分は、生の促進を図るにある”のだから、”この同じ感情(自愛の念)によってに生命そのものを傷害するのが自然法則だとすれば、自然は自己矛盾に陥り、もはや自然として存立し得ないであろう”としている。だからこの格律は普遍的自然法則にはなりえず、義務の最高原理にも反するとしている。(つまり「自殺はするな」という立場)
 これは自分に対する完全義務の例である。

〜まとめはここまで〜

(29)で「定言的命法はどうして可能となるか」という問題について後に第三章で考察することを予告している。今で言えば「メタ倫理学」に当てはまると言えるが、この辺りの考察についてはとりわけ「応用倫理」の分野で蔑ろにされている感がある。
 「応用倫理学」上の言説が単なる政治的営み、読者を納得させれば勝ちという状態では、マツコ・デラックスのような気の利いたコラムニストと何が違うのか、という疑念は拭えない。



ご「批判」お待ちしております。


道徳形而上学原論 (岩波文庫)

道徳形而上学原論 (岩波文庫)