平成世代のオウムとの向き合い方

7月21日、新宿ネイキッドロフトで『平野悠の好奇心・何でも聞いてやろう「オウムって何?」』というトークイベントがありました。この模様はユーストリームニコニコ生放送でも中継され、現在もアーカイブで御覧いただけます。*1

さて、オウム真理教と言いますと、やはり地下鉄サリン事件が想起されるわけですが、1989年平成元年生まれの私は事件当時小学校就学前でした。記憶の断片に選挙出馬時の奇妙な歌や同年の大災害として語れることの多い阪神淡路大震災と共にありましたが、どちらかと言うと事後、物心ついた後に色々と知っていった事の方が多いように思います。

そういわけで、上祐史浩というある意味歴史上の人間と言える存在が、割と<意識>を持ったと自負できる年齢になった自分の面前で語るというのは何とも興味深く感じたわけです。最も、北海道に住まいを持つ私がわざわざこのために上京するワケもなく、ユーストリームの中継で観覧していたわけですが。

一応一通り観ましたが、今回ここでお話するのは、そのイベントの感想でありません。

  • イベントそのものへの拒否反応

視聴後、Twitter上で様々なやり取りが繰り広げられました。具体的個別的に取り上げてもいいのですが、非常にわかりにくいため、ここで自律的に自分の立場を表明して個別の対応に代えさせて頂こうと思います。
(もし「どうしても知りたい!」という奇特な方はこちらのまとめを御覧ください。*2


ユーストリームでコメントを見ていると、イベントそのものへの拒否感を顕にする人が多く見受けられました。上祐個人への現在・過去に対する直接的批判ではなく、イベントの開催・中継そのものへの否定的意見です。
果たしてこの否定的意見は、意味のあるものなのでしょうか。

遺族や事件関係者が、当時の教団幹部に対して批判的になる気持ちを否定できるわけはありません。しかし、その<批判的になる気持ち>は上祐ならば上祐本人に直接向けられる批判(匿名・実名の問題ではない)であり、その存在や言論活動そのものを否定するものであってはならないはずです。

確かに、「噂に違わず口達者だな」とは思いました。うまく言いくるめられる人も出てくるのかなとも思います。しかし、その危険性を理由に排除することの方が危険であり、少なくともオウム時代の事件に関しては司法の場で裁きを受けた人間の活動を完全に否定することなどできるでしょうか。

  • イベントの問題点とは

ではこのイベントが非常に良い物であったかといえば、それはまた別の話です。イベントの最後に観覧者から意見がありました。以下がその要約です。

「最近、オウム事件風化してきてるっていうのは本当にその通りで、今この会場で罵声が飛ばないのは好ましくない変化だと思っている。これこそ風化してるからじゃないかという気がするんですね。上祐さんは時々メディアインタビューとか受けることもあると思うのですが、メディアの上祐さんの扱いというのがオウムへの批判的な形ではなく、上祐さんの言いたいことを言わせる場になっているように思えて、だから今後もロフトでこういうイベントをやるのは構わないが、上祐さんのPRになるような活動は依然慎重に行われるべきではないか。罵声が飛び交うような、そういうイベントであってほしい。」


今回はアーレフ側からの論客がいなかったために、比較的穏やかに進行していきました。途中、現在上祐が代表を務める「ひかりの輪」という団体の広報活動みたいな場面もあり(まあ見てなかったんですけど)、これも出演に際しての条件だったのかな、それがあるからアーレフは出なかったのかな、とか色々勘ぐることもできましょう。
そういう意味で、このトークイベント自体に再考の余地はあるかもしれないが、ああいった歴史的なテロ犯罪の首謀団体の関係者が直に口を開く場があってはならないのだろうか。風化させてはならないと真に思うのならば、広報や見え透いた反省アピールの場にならないような進行の上で、むしろどんどんと話をさせるべきではないだろうかと思うわけです。

  • そういうわけで

これは何もメタ、俯瞰視点から高見の見物してるわけではありません。もっとも、当時の事件に関する直接の利害関係者になることは無理ですから、どうしたって傍から見る人間でしかありえません。まして平成世代ならば尚更です。
ただ、そのような中でこれからを生きる者として過去の大きな事件について紡がれる言説に耳を傾けようとすることに、何の問題があるのでしょうか。それから遠ざけさせることこそが、事件の風化を促進し再び同じような悲劇を招く要因になるのではないかと思います。

問題なのは、一方に偏るような編成であることであり、その点が改善されることで今回のようなイベントの評価も、また変わってくると思います。関係者の方には、是非そういった視点でのイベント運営をしていただけたら嬉しいです、とまあ何と偉そうな!


そういうわけで、僕の思う点は以上です。途中の「ひかりの輪」広報みたいなものが今回のイベントの肝に関わるとは思えなかったので、それは出演条件等との兼ね合いだったのかもしれませんが、そういう「胡散臭さ」みたいなものは払拭して欲しいなと思う次第です。それだけ。