「就活くたばれデモ批判」批判 


ていうかね、色々ごたごた丁寧に書いてたんだけどね、もう間違って未完成のまま公開しちゃうし、焦って色々いじったら下書き保存もできてないしで踏んだり蹴ったりだからね、端的に言います端的に。

就活くたばれデモ(以下「就活デモ」)に批判してる奴いるでしょ。いやね、いいんですよ。僕も誘われたくせに行かなかった。ズルイよね、そのくせこういう時にしゃしゃり出てくるんだから。ごめんなさい。
でもね、ひとつだけ言いたいことがあるんですよ。就活デモをね「そんなの意味ないよ」って斜に構えて批判してる連中にはね

「黙って見てろ」

と。それだけ言いたいんですよ。

僕もデモの実効性とか効率性とかには懐疑的ですよ。だから批判してる連中の意見には概ね同意できる部分もある。だから参加しなかった。けどね、「意味ないよ」ってことはその「意味ないよ」って言説に無意味さが内包されてるわけ。「意味ないよ」って批判は「意味ない」の。
今の「就活」に諸手を挙げて賛成なら、デモどころか色んな対策・法整備に反対だよね。でもそんな人なかなかいないよね。だから色々言うんじゃん。
確かにデモそのものは実効性が無いと言えるかもしれない。ただね、デモ一般が実効性をその行為の意義に持ってるわけじゃないのよ。

「それがなんになるの」っていう功利的な問いがほとんど通用しない次元で、なんかやっている。欲望に忠実なんだよね。デモによってなにか成果を得ようというのではなくて、路上で踊るという行為自体が自分の欲しいものだから、その解放感のために、いくら脅されても手放そうとしない*1

矢部史郎さんの言葉ですこれ。
僕は直接伺ったわけじゃないけど、デモ参加者の多くってそういう気概があるだろうし、とりわけこういう自分の身に差し迫った問題を考えるデモの場合、自分と同じ問題意識を抱えた人間に出会うってこと自体がデモの意義だったりするんだろう。
ただそれ自体は”僕は”欲しくなかったので、だから参加しなかった。ただそれだけの話。

このデモによって何か自分に不都合が生じるならともかく、内部で揉めてデモが破綻しようが、どんどん勢力を広げて規模が拡大しようが、ぶっちゃけ今現在批判してる人らには関係は無いわけだ。
批判をするなら、その行為によって不利益が生じる場合、つまり「あらぬ方向への変化が生じそうな場合」のみと言っていいんじゃなかろうか。

現状で無意味かどうかの判定はできないんだから、「無意味であろう」という予測はできても「意味ない、くだらないpgr」って言って自分の就活疲れの溜飲を下げるようなくだらない学生はほんと黙って見てろって感じだし、ポジショントークのしたい就活ビジネス連中も黙って見てろ、「デモ参加者の卒論が見てみたいですね〜」なんていう批判にすらなってないただのいちゃもん付けもお願いだから黙ってくださいって感じです。

じゃあ、お前は?って言われるとこれ困るんですけど、とりあえずデモに参加せず傍観するという選択肢だってあるわけです。

「何が真実であるかを充分に明晰判明に知得していないときには、判断を下すことを差し控えれば、私は正しく活動し誤らないということは明らかである」*2
とはデカルト先生のお言葉です。いやこれズルイですよね。普通に考えて。そら言ってること間違ってないけど、だからって選択しなきゃいけないときだってあるじゃないって。

ただまあこれを拡大解釈というかご都合解釈して、上手いこと使いましょうよ。

つまり<デモによって不満のある「就活」に変革が生じるかは不明であり、かつ現状はデモによって不都合が生じることもない。>というのなら、こんなところでとりあえず「就活」に不満はある者同士内ゲバして無意味だという無意味な批判などせずに、見守っていけばいいだけ、簡単な話。
行動至上主義的な言説を就活デモ側が採用するとするなら、それにははっきりとNO!を突きつける必要はあれど、そうでないなら見守る・悪い言い方をすれば放置、それでいいじゃん。
「あーこれちげえな、こっちじゃねーな。」ってなりそうな時にはどうぞ批判すればいい。「意味ない!」っていうなら言葉飲みましょ。

てめーがどうしても就活デモにひとつ言葉を添えなきゃいけない訳でもないんだし、だったら黙って見守ってろってことなんですよ。そういうしょっぱい批判があちこちで散見されること自体が雰囲気をよくなくするってことだけは確定的に明らか。




追伸

全国4都市で開催された就活デモ。ただ、申し訳ないですが松山のデモの名称:「シューカツしたくないよぉ〜☆パレード@松山」はセンスがないと思います。つまるところ、この手のデモはやはり「自己責任」や「甘え」と言った批判文句が出てくるのは目に見えているわけで、論点をはっきりと浮き上がらせるためにも、極力そういう類の批判を避ける努力はするべきだと思うわけです。
しかし、この名称ではいかにも「甘えだ!」と文句をつけて欲しいと言わんばかりじゃないかと思ってしまいました。
「シューカツ」「したくないよぉ〜」「☆」「パレード」
松山の主催者が、どういう意図を持ってこの名称にしたのか、どうしてもこの名称でなければならなかったのは是非知りたいなと思うのですが、どっかで見れますかね。

ネオリベ現代生活批判序説

ネオリベ現代生活批判序説

デカルト=哲学のすすめ (講談社現代新書)

デカルト=哲学のすすめ (講談社現代新書)

*1:ネオリベ現代生活批判序説」 p144

*2:デカルト 哲学のすすめ」 p137