断片的に触れた「若者の保守化」

基本的に、このブログはTwitterありきというか、おもいっきり長い文を書きたい衝動に駆られたときに使う避難所のようなものなので、もしよろしければご覧になってください。

今日は先日Twitter上で長々書いたこの件について、ブログとしてまとめていきたいと思っております。

http://togetter.com/li/30599

「てめー長文連投してんじゃねーぞ!」とお叱りいただいたから書く、という冗談はさておいて自分でももう少ししっかりまとめておきたいと思ったので書いてみようと思った次第です。




さて、その日からちょうど一週間が経ちました。

ある日、北海道大学の構内を歩いていた私は、一枚のビラを発見します。それは保守系学生政治勉強会の告知ビラで、北大生が中心であったようですが札幌圏の学生に開かれた勉強会でした。

ゼミやサークルに入ることもなく刺激のない日々を過ごし、一方本格的に始めて数カ月経過したTwitter上では、同世代の人間が一生懸命に活躍してる姿が目に入ってくる。そういう状況を見て、何か得体のしれない焦りみたいなものを感じていた私は、決して保守系の政策そのものになびいていたわけではないものの、得られるものがあるのではないかという期待を胸に彼らにコンタクトをとりました。

ただ、私もアホではありませんから、この団体がどういう人達の集まりであるかを一応は予測しておきました。やはり「ネット右翼」的言説になびく人間の集いであるのではないか、という予測は容易にできることだと思います。

それは、まずコンタクトをとるに際してこの団体のブログを見た時から感じたことです。

ブログに踊る言葉は、ネットユーザーの一人としてよく目にする蔑称的言葉でした。それでも何かいい機会だと、「自分は決して保守政策に完全に同調する人間ではない」ということを伝えた上で勉強会に参加させてもらうことにしました。

もちろん、喧嘩を売りに行って団体を潰しに行くとかいうのが目的ではありませんので、「そういう人間だが、本当に参加させてもらっていいのか」というお伺いはたてました。メンバーと相談したいという話の末、結果的に了承してもらいました。


了承以後、時間が合わなくて何度目かでようやく実際に勉強会にいくことになった。その日の勉強会のテーマは「マスコミ」

この問題については、政治的立場にかかわらず相容れる部分があるので、さほど気後れすることもなかった。ちなみにその前は「外国人参政権」がテーマで、さすがにこれは行く気になれなかった。雰囲気が容易に想像できたからだ。



勉強会会場に着く。集合場所で軽くあいさつをし、大体そろったとこで会議室へ。その日の出席者12名全員で自己紹介しあい、本題に入る。

勉強会の進め方は、一人の発表者がレジュメを作成・発表し、それをベースに議論をしていくといった形だ。

上のリンクでは、この発表に対する感想も述べているのだが、この団体がまだ設立間もなく形式もさほど定型化されていないのであろうことを配慮すると、あまり強い事は言えない。
ただもっと大きな視点から言わせてもらえば、学問の分野は違えど曲がりなりにも院生であるこの発表者であるならば、もう少し系統的なまとめ方、簡潔な発表はできないものかとは思う。この団体がどうだとかではなく、大学ないしその前段階における「知識のアウトプットの教育」が悪すぎると痛感した一時だった。

発表の時間が終わり、議論の時間に入る。議論、と呼ぶには自分も参加者の一人としてあまりにも稚拙であったことは否めないのだが、便宜上そう呼ぶ。

発表者のレジュメに記載されてる事項について質問したりして突き合わせていくのだが、この場面での発言者が少ない。基本的には発表者と僕+4・5名が順番に話していた。他の人はこの議論部が終わるまで一言もしゃべらなかった。

この議論のパートは、はっきりとイライラする場面が何度かあった。例えば、僕が野中広務氏が先日公表した官房機密費流用の問題について触れた時、すかさず「いやでも小沢さんが・・・」と割ってきた人がいた。これは割ってきたことではなく、公平感の無さに対しての憤りである。これをもって団体全体を糾弾する意識はないが、少なくとも彼にとっては、自民党は正義の党であり、民主党とりわけ小沢一郎は絶対悪でなければならないのだろう。だから小渕政権下で官房長官を務めた人間から、どのような意図があるかは不明だとしても自民党を非難する形になる言説が飛び出たことは不愉快なことなのだろう。非常に形式主義的である。

団体全体の雰囲気を推し量れた部分としては、各マスメディアのこれまでの罪悪を羅列したレジュメの部分に話がいったときである。

テレビ朝日椿事件朝日新聞の捏造記事、毎日新聞waiwai事件などにも触れていたのだが、私はこの辺で事前から予測していたような嫌な雰囲気をはっきりと感じ取った。やれアカヒだ変態だ在日だと蔑称を並べ立て嘲笑しあう雰囲気に強烈な既視感と違和感を感じた。

既視感、というのはつまりネット上での言論ということだ。彼らは自身のブログ上でネトウヨとの差別化を図りたいようだった。「実際に集まって勉強会開いてるんだぜ!だからネトウヨじゃないんだぜ!」と。確かに、ネット右翼というのは定義の定まってない言葉ではある。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%8F%B3%E7%BF%BC

では、例えばSkypeのようなツールを利用し、掲示板を媒介とし集った人間同士で掲示板に書かれていることと同じような言葉を並べて会話してる時、それはネット右翼と呼ばれるカテゴリーから独立していると言えるのだろうか。
そうは言えないはずだ。我々が一般的に「ネット右翼的発言」と捉えるとき、それは過激な嫌韓嫌中であったり天皇・国旗・国歌への崇拝等を指している。

以下にそれに関わる研究報告書を掲載する。

『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』(PDF ファイル)
http://www.d-tsuji.com/paper/r04/report04.pdf


この報告書では、調査に際して3つの「ネット右翼」の定義を行っている。

1・韓国・中国に対する排外意識
2・国旗・国歌に対する忠誠心、憲法改正に肯定的
3・インターネット上で意見の表明をしている

大まかにまとめると大体このような形になる。恐らく彼らはこの3つ目の項目を指して「ネトウヨという蔑称からの解放」を意識してるのかもしれないが、同調査書によればこの3つに当てはまる層(=「ネット右翼」)は、リアルにおいても積極的な活動を行っているケースが、この3つに当てはまらない層よりも多いとなっている。

ということは、仮にネットだけではなく実際に集まって活動していたとしても、そこで飛び交う言論が「ネット右翼」的言説であれば、なんら変わりはないということだ。また、上記の定義には含まれていないが、「ネット右翼」層はマスメディアへの信頼度が、そうでない層とくらべて格段に低いということも調査結果として出ている。これが「マスゴミ」などの蔑称とつながっている。

仮にその場がリアルな場であっても、飛び交う文言がネット上と大差ないもの、上記の定義以外にも、反民主党・反小沢・親麻生といったような形式に囚われている文言であれば、それは極めて「ネット右翼」的であると言える。だから彼らは、本当にその蔑称から独立したいと考えるのならば、そういった「形式主義的保守」という立場から脱却しなければならない。

そもそも、今回の発表者だけでなく参加者の殆どに、今回のテーマやそれ以外の政治的なテーマを十分に語れるだけの知識があったとは思えない。せいぜい、2ちゃんねる・ニコニコ・ムック本の類を見て最初から反対陣論に立っている人ばかりだ。たった一人だけ、公平な観点と分かりやすい語り口の人がいて、こういう人ばかりだったら楽しいのになと思った。

この団体は「保守」の政策を勉強するということで設立されているのだが、普通政治の初学者がいきなりいずれかの立場に立って勉強することはない。基本的事項の知識が十分に共有されてるとは言えない団体(同大学の同学部、同ゼミくらいまでであれば、共有されている可能性は高い)が一人の人間の付け焼刃の発表を肴に、伝聞した情報を基に悪口を言って楽しむような場が、正常に機能するとは到底思えない。
本気で政治政策について学ぼうとする意思があるならば、保守だとか革新だとか右派だとか左派だとかのイデオロギーを一旦無視して、文献を読み合わせる読書会的な催しにするべきなのに、その意思はなさそうだった。というより、それを主張する気も起きなかったのだけど。。。


またもう一つ、上記の報告書14Pで、「「ネット右翼」の立場の人間はネット上の過激な発言はネタであると捉えている傾向がある」といった主旨の報告がなされていることについて。

(ここで一つ断っておきたいのは、私の知識不足故、上記報告書の調査方法や調査結果(数値)については基本的に肯定した立場をとっています。その後の解説文を読み取っているだけなので、重大な誤認をしている可能性があることは否めません。)

私も基本的にはそうであると思っている。2ちゃんねるでも初期の方の嫌韓の風潮は極めてネタ的だったと思っている。ただ、現在においてもそうであるかというと、それは違うだろう。その体験が今回の勉強会だったと思っている。一部の発信者・受信者はネタとして受け取っていても、そうとは思わない人間も一定数でてくる。彼らからすれば、それは今までのマスメディアが伝えてはくれなかった「裏側」であり、心踊らせる「陰謀論」である。それを伝えなかったマスメディアは罪だ、「マスゴミ」だ、となる。
ネタだネタだと免罪符にしていても、現実にその「ネタ」とやらを信条に勉強会を開いている場面に出くわし、私はちょっと怖くなった。「あーこいつら同世代なんだよなあ。」と。


もちろん、これは私たちの世代特有の現象というわけではない。調査書では特に世代による「ネット右翼」人口のばらつきは見られなかったとある。さらに、


 上野陽子は、「新しい歴史教科書をつくる会」地方支部の参加者たちの反朝日の雰囲気について「『朝日』を批判すれば、隣に座っている年齢も社会的立場も異なる人とも、とりあえず話のキッカケがつかめる、そんな風に感じ取れた」と述べている (北田暁大 『嘲う日本の「ナショナリズム」』p209)


という論述もあり、こういった一つのイデオロギーを背景に寄り集まるという行為は年代に依存しない行為である。

ただニコニコ動画の政治タグと見ていると、なんかおかしいなと言う気分になる。麻生太郎は、自分も高校生のときくらいに当時外務大臣だった麻生さんを見て凄く好きになったのを覚えてるけど、今ほど人気というか崇拝されていたわけではなかったと思う。自分が好きになったのは、その語り口であって、別に漫画がどうとか秋葉原での演説がどうとか、そういうのに興味があったわけではなかった。
今となっては、「麻生太郎」というのは偶像化されてしまって、非常に酷だなと思う。そしてその偶像化に乗っかっているのは、ニコニコのユーザー層から鑑みて10代20代が多いんじゃないんだろうか。彼らがこぞって馬鹿にする「情弱」の4,50代が理想の首相に小泉純一郎を挙げるのと、麻生崇拝。いったい何が違うのか、僕にはよくわからない。







この動画内で「自分で答えを見つけようとすることが大事」と麻生さんはおっしゃって、それに感涙してコメントしているユーザー。「わかってます!」と意気揚々に語るが、それは「既存マスメディアの情報なんて鵜呑みにしない!ネットに真実が!」という偏った信条を背景にした言葉でしかなくて、麻生さんが本当に言いたいのは「ニコニコの政治タグだけでわかった気になるなよ。。」ってことなんじゃないかなあ、と類推したくなる。






そんな一週間前の出来事を思い返しながらつらつらと言葉を並び立ててみた。Twitter慣れしていて、長文を書くのを忘れていた。着地点も不明瞭だろうなあ。もう一個書きたいことはあるから、頃合いをみてまたお目にかかります。